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 『裏・隙間の引力』 2009 



混浴温泉世界 別府現代芸術フェスティバル2009 わくわく混浴アパートメントのPVを作りました。
こちらは裏版です。
でもyou tubeに削除されました。


special thanks: ゆうこちゃんたけぽん(じぶこん)


『隙間の引力』(表版) 2009

混浴温泉世界 別府現代美術フェスティバル2009 にて

わくわく混浴アパートメントに関係したプロモーションビデオを勝手に作りました。
表版と裏版と、2本組みで1作品です。
表はテレビやwebで公開し、裏はわくわく混浴アパートメントでこっそり上映しています。
別府の会場に来ないと見られません。
ちなみに裏ビデオのサブタイトルは「ぬれぬれ混浴アパートメント」。




〜大分webTVより〜


わくわく混浴アパートメント参加アーティスト、長崎県波佐見町ギャラリーmonneporte(モンネポ ルト)代表のスズキジュンコによる映像作品「隙間の引力」をご紹介いたします。『別府に来て感じた事は「密度」だった。なぜそう感じさせたのか知りたく て、ひたすら街を歩いた。すると私の目は、いつも建物と建物の“隙間”を覗き込んでいた。別府の“隙間”は混沌としていて、でも何らかの役目を持ってい る。引力にギュウっと吸い寄せられたように様々な物が雑然と置かれ、でもそこを利用する人が確実に生きている痕跡が頼もしく、美しいと感じた。隙間を覗く たびに、宝探しのような気持ちになった。今回、私が関わる「わくわく混浴アパートメント」は、別府の隙間とぴたりと重なった。突然住宅地の隙間に現れた生 きている現象。まるで引力があるかのように人が集まる“隙間”の魅力を、全て写真画像で構成した映像作品に表した。』


 「joy! わたしの楽しみ」 第6公演

公演テーマ「タペストリー」




人と繋がっていく、そういうところにも楽しさがある。
自分ひとりで生きていない、みんながいて自分がいる。
繋がる喜びがあるからこそ、人生は深みを増す。
一瞬一瞬を、一人一人を、大事に大切に思う。


<第6公演あらすじ>
来場者はあらかじめ受付で糸をもらう。
sosoがピアニカで入場。私とマイさんは日だまりで寝転がる。そのうちsosoも合流。しばらくの沈黙のあと、sosoがポツリポツリと思いを言葉にする。
立ち上がり、sosoはオルガンを弾きはじめる。マイさんは赤い糸を白い枝に張りはじめ、私は雫のような玉を静かに床に置く。
楽しげな曲になるにつれ、マイさんは踊りながらどんどん糸を張り巡らす。
私は玉をぶら下げるため、天井の梁に毛糸玉を一生懸命引っ掛けようとがんばる。そしてその両端に玉を結び、井戸のつるべのようになったものを点在させる。
マイさんは小さな花瓶を赤い糸にぶら下げ、花を生けはじめる。玉にも生ける。
私は来場者の持っている糸の一端を借り、赤い糸や玉に結んでいく。もう一端は来場者の指に繋がる。全員繋げる。ピアノもパフォーマーも繋げる。糸が行動の限界になり、切ってはまた繋げていく。
玉を引っぱり上げたり下げたり、みんなの糸のテンションが各々の指に伝わる。



<私の思い>
人と関わるということは心の隙間が埋まり安心するものだが、その反面関わった責任のようなものもあると思う。誰かが浮き、誰かが沈む。でもそれは恒久的ではなく、常に変化する。そこに分かち合いや思いやりがあると、うまくバランスがとれていくものだ。
辛い思いをすればするだけ、他者への思いやりが生まれる。その思いやりに触れ、傷ついた人が得た安心感は、人から人へ伝播する。そんな波がどんどん広がればいい。
人と繋がるということは、分かち合うということだ。










 「joy! わたしの楽しみ 〜お庭でjoy!〜」 第4、5公演




第4公演、第5公演とも、モンネポルト外の庭で行った。
すばらしくいい天気に恵まれた。

<第4公演あらすじ>
sosoが学校の先生のように、足踏みオルガンで優しいやわらかい演奏をする中、マイさんは洗濯物を干すように花を生け、白い枝をぶら下げる。わたしは風船を配る。
風船を渡すとき、ナイショ話のように「好きな時に空へ飛ばしてね」と一人一人に耳打ちする。






<第5公演あらすじ>
のんびりと始まったsosoの奏でる音の中、マイさんは洗濯物を干す。太っている私は布をかぶり、ウロウロする。来場者に手伝ってもらいながらたまごをポコポコ産んでいく。それを一人一人に温めてもらい、空へ放す。




憧れに近くなってきてしまっている、ほのぼのピクニックのようなシチュエーションを作る。
空は青く、雲ひとつない。
一人一人が温め飛ばしたオレンジと白の風船は空に映え、小さくなるまで見つめ、行く先を想像する。たぶん有明海のほうに飛んでいったろう。
ライブ中、会話をしながらそんな想像を膨らます。


 「joy! わたしの楽しみ」 第3公演

公演テーマ「音の種」



音楽は、頭の中に住み着いて、他に何にも無くても、ただ口ずさめばそれだけで楽しい。
音楽には、そういう力がある。
sosoの奏でる音が、私達をふんわり包み、空へ導く。


<公演のあらすじ>
たくさんの風船が、ピアノに括りつけてある。しばらくの沈黙のあと、私とマイさんが、風船をひとつずつピアノから外していくと、ピアノからひとつの音がでる。風船を来場者一人一人へ配る。そのうちsosoが音を徐々に増やし、曲を弾きはじめる。
配り終え、今度は花を宙に漂わせる為に、来場者から風船を借りていく。ちょうど地面から花が浮くくらいの高度を目指し、2人は試行錯誤する。
宙に漂う花が多くなってきたとき、お菓子が浮いたらもっと楽しいと思い、私は引き出しからおやつを取り出す。なかなか浮かないので、少しづつ食べて軽くして浮かせる。そのうち、浮かせることを口実にお菓子を食べまくる。
マイさんが、土を小さじ一杯づつ盛り、音の種ひとつひとつの地面を作る。私も合流。
土を払う為に手を叩いていくうちに、拍手にかわっていく。


<私の思い>
今回、花やお菓子を浮かせる為の重量調節に苦労するのだが、それがなければ成功の感動もない。そういう悪あがきの末、楽しい美しい事態が待っているとなると、苦労も大事なエッセンスだ。それをただ単純に、時にコミカルに表現したいと思った。
風船を来場者から借りることで起こる一体感。「浮かせる」という何の意味もないようなひとつの目標でさえ、それは成り得るのだ。




公演開始前



おやつの引き出し



宙に浮いているお菓子(食べかけ)


 「joy! わたしの楽しみ」 第2公演


第2公演テーマ「たからもの」



子供の頃、皆さんは自分の大事な物を詰め込んだ「宝箱」を作った記憶はないだろうか。
その箱のふたさえ開ければ、いつでもワクワクした気持ちになったものだ。
大人になった今、そんな「宝箱」は、きっと記憶の中にあるのかもしれない。


<公演のあらすじ>
舞台は白い森。私はそこの営みの象徴として、ただただ淡々と日々同じ事を繰り返しているように制作を続けている。
sosoは小鳥のように、風のように、曲を奏でていく。
マイさんが森を訪れる。いろいろな出来事を日記に書くように、トイレットペーパーを張りめぐらし、そこへ点を刻む。その点の下に、花を一輪づつ生けていく。
生け終わるとトイレットペーパーを巻き、赤い糸で木に括りつける。
その頃、私は作品を木に実らせていく。



<私の思い>
大切なものを忘れるから寂しくなる。大切な人、大切なことを思い出せば、それは私を支えてくれる「たからもの」そのものだ。その記憶たちが、私にはある。みんなにもある。
この公演で新しくできるであろう「たからもの」は、容赦なく過ぎ去るこの時間の共有だ。その記憶を透明な実に込め、木に実らせ、また新しい場所、新しい時に送り出す。この大切なことを忘れない為に。
孤独だと嘆くより、そのほうが健やかで気持ちがいい。



導入の沈黙から、動き出す瞬間はsosoの音




「joy! わたしの楽しみ」 2009 長崎県波佐見町/monné porte


重松壮一郎(ピアノ)・吉村舞(フラワーアーティスト)・スズキジュンコ(現代美術)によるコラボレーション

ピアノ、ピアニカ、足踏みオルガンなどの即興含むライブと、インスタレーション・パフォーマンスのイベントです。

第1公演テーマ「キャベツ 孤独と解放」
白い木と浮かぶ雲は全公演常設。白いキャンバスの役目。



「楽しいとは何か」を3人は追求し、「孤独」がひとつの答えに上がる。
孤独があるからこそ、人が大切に思える。
そこで、キャベツ畑で一人黙々と働くおじいさんを見たマイさんが、キャベツのモチーフを発案。


<公演のあらすじ>
重松壮一郎ことsosoが旅路をイメージし、その車窓からキャベツ畑を眺める音楽を奏でる。
マイさんは、キャベツを一枚ずつ葉を「バサッ」っと床に落とし、キャベツの葉だらけの地面に。ピアノも止まり、沈黙がしばらく続く。
私は、その落ちた葉を、外側の葉から芯まで、順に並べはじめる。あまりの美しいグラデーションだったので、その葉を最後の小さな白い一枚まで全部、宙にぶら下げる。マイさんも合流し、ぶら下げる。
sosoの曲も軽快になってゆき、電車を連想させる音楽へ。
マイさんは私が円に並べたキャベツの葉の外側に、花を生けはじめる。
どんどん楽しくなってきて、キャベツの葉をかぶり、sosoにもかぶせてイタズラをする。
最後にマイさんが大好きなツツジの木を軽やかに見せびらかして、sosoと私があとに続く。


<私の思い>
私は、ネガティブな事こそ大事に思う。強い光になればなるほど影も濃い。その濃い影から逃げれば、強い光の喜びは知らないまま。ほとんどの人はきっと、その影に一旦は呑み込まれる。しかし乗り越えるからこそ、生きている事が楽しくなる。今まで見えなかった世界が拓けて来る。
今回キャベツはバサッと音をたて、床に落ちる。死を象徴するようなそれを、生まれかわることができる希望のように、美しく配置した。とびっきり、最大限に美しく。
小さい小さい葉っぱも大事に掌ですくいあげる。どんな小さな葉っぱでも、その美しさには必要不可欠だ。
後日、このキャベツをポトフにして、みんなで頂いた。







 「サラスヴァティがいない」  2009   




サラスヴァティとは:サラスヴァティは、芸術学問を司るヒンドゥの神様です。
          日本では「弁才天(弁天さま)」の名で親しまれています。
          サラスヴァティの移動手段は、孔雀及び白鳥です。
          この孔雀は主人を捜しています。
          見つかったときは、サラスヴァティが来たときです。


 「生の間〜せいのはざま〜」  2008  ギャラリーmonne porte/長崎

  
ライヴとパフォーマンス




                            制作会議







                                

ピアニスト:重松壮一郎さん、 フラワーアレンジメント:吉村舞さんと3人で、生きることと死ぬ事をテーマにした公開制作と即興演奏をした。
最終日にはコンサートとパフォーマンス。
3人とも違った価値観がぶつかり合う。


「望来を食べる」 2008  北海道石狩市望来浜

 
      
昨年も呼んでもらった「砂浜現代美術教室」
展覧会とは大概アウトプットの部分がメイン。
今回はインプットするだけという滞在をした。
自然界において、現代美術は不要なもの。
そこに人間がいて初めて成り立つものだ。