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ボヤンが夜、シアターに行くことを提案してくれた。
マリーナ・アヴラモビッチの作品が、ノヴォメストのシアターで見れるらしい。
…ああそうか、彼女はユーゴスラビア出身だっけ。

映像作品かなと思ってたらビックリ、舞台作品だった!(シアター=映画館的なものかとばかり思ってました…。お恥ずかしい。)
(以下参考)
MARINA ABRAMOVIĆ ALI KAKO SEM IZGUBIL POT DO ANTIGONE


なんというか、もう延々、驚きっぱなし。
まず、人口2万人ほどの地方の街のシアターに手の込んだ仕掛けの舞台が仮設され、1公演に100人程度しか入らない小劇場なのだけど、満席でした。

公立施設だけど、企画にはお金がたくさんかかるので、地元の製薬会社Krkaがスポンサーになっている。

そして、なんといってもクオリティの高さがすご過ぎる!
このショーの懸垂幕をプリントしたボヤンのツテで、無料で入れてもらえたのだけれど、(ありがとうボヤンとシアターの皆さん!)なんと、通常でもどうやら12ユーロで観覧できるらしい。
なんなんだ。日本じゃ考えられない。6000円くらいするよなあ。

それはさておき。

あまりの作品の素晴らしさに、時差ボケとかすっ飛ばして、全神経が前のめりになりました。

鯨の骨のオブジェが支配する空間の下は、斜めの床。
スモーク、垂れ落ちる水、手話、荒れてぶつかる白と黒の人、処女らしいバレエ少女たち、拘束具と竹、檻のようなアルミの枠、生きた鷹、史実・肖像・血を連想させるボディプロジェクション、心音、繰り返す命の営み、意味がわからないけど美しい音のスロベニア語と、唐突に日本語も。

今の私には、嵐のようで、洪水のような、猛烈ショックです。


私に起こっていることは、個人的だが多くの地方居住者と同じくしている小中規模的視野の疑問や問題で、
それは日本だけじゃなくスロベニアも一緒で、
一方アブラモヴィッチ氏は、紛争や国際問題などグローバルから直面した、私とは全く異質なテーマだろうけど、
このミクロとマクロが交差した感じというか、実は同じ山なのかも、というか。

問題の規模というよりも、思考のスケールが萎縮することに私自身十分気をつけていたんだけどなあ…。
ローカルサイト特有の問題に呑み込まれている自覚があっても、あとから元の感覚を取り戻せるとふんでいたんだけど、いろんな意味で難しい。コミュニティは自分だけでは成り立っていない。


そんな話をする帰り道。
「溺れて息ができなくなるような状態は、どこのローカルコミュニティでも付きものだし、アーティストには大きな問題だ。
だから私は外へ出るんだ。」
とボヤンは言っておりました。


Novo Mestoのシアターは、たった一人のディレクターの熱意によって、あのすばらしいクオリティが保たれているそうで。
私が大学に入学しテニス部に入ったとき、モチベーションのギャップが悲しかったのですが、(そんなこというなら美大じゃなく体育大に行けよって話ですが)
そんな類いの慢性的失望感が、たった1時間やそこらでひっくり返るとは。
アートって、やっぱりおもしろいかも。

うまく言えないけど、本当に久しぶりに、自分が自分に戻ってきてくれたような感覚だ。


あー、ぜんぜんうまく言えない。というより、もっと考えたい。
これはIndependence Dayなのかな。

 
 


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